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コラム会報誌研究発表

【会報誌掲載】学校法人獨協学園 理事長就任のご挨拶|猪口 雄二(1期生)

私は獨協医科大学1 期卒業の猪口雄二です。令和5年8月の理事会で理事長に選任されました。獨協学園は、今年で創立140周年、また獨協医科大学は創立50周年を迎えました。この伝統ある学園の責任のある職に就き、光栄であると共に身の引き締まる思いでおります。


私自身の事について知らない先生も多いと思い、この場をお借りして自己紹介をさせて頂きます。


私が獨協医科大学に入学したのは昭和48年(1973)4月でした。大学周辺はまだ開発はされておらず田畑が広がり、「鹿に注意」の看板も立っていました。何もかもが新しく、教職員の皆様も入学生と共に希望に満ち輝いていました。その学舎で、愛情に溢れた教授の皆様や医大職員の皆様、同級生と共に過ごした6年間は貴重な時間でした。卒業後6年ほどで父親の跡を継ぐ必要から医大を離れてしまいましたが、胸の奥には、常に獨協医大卒業生であるという矜持を持ち続けながら、医師として、経営者として仕事をしてまいりました。現在は日本医師会副会長、全日本病院協会会長、医療法人財団寿康会理事長という立場にあります。


次に獨協学園理事長に立候補した経緯をお話し致します。それには獨協学園の設立に至る経緯と最近の学園に関する事柄を説明する必要があります。


現在学園には獨協医科大学の他に、獨協大学、獨協中学高等学校、獨協埼玉中学高等学校、姫路獨協大学と5つの学校があります。獨協学園の前身である獨逸学協会が発足したのは、明治14年(1881)でした。当時は法律や医学はドイツに学べと言われ、所謂国策として獨逸学協会が設立されました。終戦後に獨協学園と名称を変更し、学校名も獨協中学校となりました。獨協中学は天野貞祐、水原秋桜子他多数の傑出した人物を輩出しました。その後に獨協大学が、そして獨協卒業生の悲願である獨協医科大学が設立される事になりました。医大の設立には、獨協学園の重鎮である天野貞祐と共に、栃木県出身であった関湊という素晴らしい実業家の力がありました。さらに医大設立の後、獨協埼玉中学高等学校、姫路獨協大学が設立されました。


このように発展を遂げてきた獨協学園ですが、どの古い学校でもあるように、ここに至りいくつかの問題も出て参りました。


一つは姫路獨協大学についてです。寺野元理事長によって姫路市による公立化される予定がありました。また譲渡の話もありました。しかし前理事長吉田謙一郎先生の下でいずれも頓挫しています。このため私は井上清美姫路獨協大学学長とも連携しながら、同大学の進むべき道を共に模索している状況です。最近になっていくつかの希望が持てる報告も出て参りましたので、具体化できるように関係者と連携して対応していきます。


二つ目は本学園の分離独立の方向性についてです。7月末の前理事長による講演で、学園の各校は分離独立していくべきであるという主旨の話がありました。しかし私はそう思いません。獨協学園の構成校全てが発展し、所属する学生、生徒、教職員、家族、そして卒業生たちが幸福であるにはどうしたら良いか。それは各構成校の一途な協力体制だと思います。現在の急速に進行する少子化の中で、各校の連携強化を強調する文科省も本学園の分離独立は認めないでしょう。中には医大ばかりが金銭的負担を強いられているのではないかとご不安の方もおられると思います。しかし構成校はそれぞれの規模に応じて分担金が決まっています。姫路獨協大学の経営危機についても、学園本部と姫路獨協が負担しているものであり、医大にその負担はお願いしていません。

これからさらなる少子化の中で、獨協ブランドや140年の学園の歴史、50年の医大の歴史を守り育てていくために、全ての獨協関係者の納得のいく学園運営を全身全霊で目指していきます。この発展には、卒業生だからとか他大学卒業生だからという枠組みは関係ありません。獨協に関わり仕事をしてくださる全ての人と力を合わせ、公正かつ閉塞感のない、そして希望に満ちた医大、学園にしなければなりません。どうぞ宜しくお願い致します。