情報

  1. ホーム
  2. >
  3. 情報
  4. >
  5. テニス部50周年・宮城⽀部会|会長コラムVol.17
コラム会報誌研究発表

テニス部50周年・宮城⽀部会|会長コラムVol.17

唐突に秋が深まった状態でやってきました。いつかは冬と夏だけになる⽇がくるのかと⼼配になるこの頃です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

10⽉28⽇に、宇都宮東武グランデで開催されたテニス部の50周年記念パーティに参加させて頂きました。100⼈を超える参加者で、熱気に溢れ⼤盛況でした。挨拶に登壇された化学の⼩⻄克利先⽣は、以前と全く変わる事なく矍鑠としておられ、今でもテニスをされていると仰っていました。吉原重美先⽣より、創設から現在までのテニス部の歴史についてのお話しや、在校⽣の男⼦テニス部の今季1部昇格という華々しい成績の報告がありました。参加された皆様が喜びを分かち合っている様⼦はとても素敵でした。また、会場のあちこちで懐かしいお顔に出会えました。卒業後ずっと会っていなかった同級⽣や、会報でお世話になっていてもメールだけのお付き合いだった先輩に会えた事は⾮常に幸せな事でした。

お元気な小西 克利先生


11⽉11⽇は宮城⽀部会に参加させていただきました。仙台駅からほど近い⼤観楼という会場には27名の同窓⽣が集まりました。⼀番上は3期の吉⽥仁秋⽀部⻑、⼀番下はなんと44期の⽯川慶先⽣です。30期以降の先⽣が約半数いらっしゃっていた事は感動ものでした。32期の佐々⽊貴史先⽣がとても尽⼒され、若い先⽣を誘って下さったと伺いました。吉⽥仁秋先⽣の開会の挨拶についで、師保之先⽣(10期)の庶務報告、柴崎篤先⽣(10期)の会計報告がありました。柴崎先⽣のお話の中で、「⾃分がここにこうして仕事をしていられるのは獨協医⼤があったからだ。もし獨協に⼊学していなかったらどうなっていたか分からないと思う。⾃分は⺟校に育ててもらった。その恩はずっとあるから同窓会に貢献していきたい。同窓会費もしっかり払いましょう。」と⾮常に⼼を打つお話しをして下さいました。柴崎先⽣ありがとうございました!!⽀部会の場をお借りして同窓会活動について説明させて頂きました。卒業して⺟校を離れるとなかなか再訪する機会はないものです。しかしこのように⺟校や同窓会について説明させて頂く事で、⺟校を⾝近に感じて頂けたら嬉しいです。⼆次会のワインバーもとても素敵でした。宮城⽀部の皆様、本当にお世話になりました。来年も是⾮参加させて頂けましたら幸いです。また後⽇、総務の師保之先⽣からご連絡を頂戴し、年末の6年⽣国試受験応援の際に宮城銘菓「萩の⽉」を送っていただけるとお話がありました。知り合いの6年⽣に伝えたら⼤喜びでした。このように応援の輪が広がっていくのは有り難く嬉しい事です。


獨協医科⼤学の敷地内には⽔原秋桜⼦の句碑が3基あります。その⼀つに「花の下に病を救ふ⼿を組まむ」という⽯碑があります。これは第17句集「殉教」所載の句です。⽔原秋桜⼦は、現在の獨協中学⾼等学校から東京⼤学に⼊学し産婦⼈科医として活躍されました。多くの皇族のお⼦様を取り上げた事でも知られています。1919年より医学部出⾝者からなる「⽊の芽会」に参加し俳句を作り始めました。句集も多く発表されています。先に紹介した句は、「桜の下で、あらゆる⼈々が⼿を組み携えて、地域医療はもとより国際的な医療をも展開しよう。また、そういう遠⼤な理想を持った医師が、この本学から⽣まれ出でよとの願いが込められている。本学建学の理念に通じている。」と、醫学振興という⽇本私⽴医科⼤学協会の発⾏した冊⼦に記載されていました。私たちの獨協医科⼤学は、本学卒業⽣とか他⼤学卒業⽣などの縛りは無く、お互いが協⼒し合い、「病から救う」という⼤きな⽬標に向かって私利私欲なく強制や強引でもなく進んでいく、これが50周年を迎えた本学のあるべき姿だと、⽔原秋桜⼦の句から改めて感じました。

⼤学の銀杏並⽊も落葉し、冬将軍がもう直ぐお出ましになるような気配です。どうか皆様も体調には気をつけてお過ごしください。