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コラム会報誌研究発表

恩師・天野貞祐先生・鹿児島支部会|会長コラムVol.25

早いものでカレンダーも6枚目になりました。


5月には第2外科初代教授の田島芳雄名誉教授、6月には体育学の吉田卓司名誉教授がご逝去されました。田島先生は非常に静かな佇まいで素晴らしい人格者でおられました。手術室でもそのお姿にオーラがあったと伺っています。

(同窓会誌「名誉教授コラム」より)

吉田先生は非常に学生との距離が近く、一人一人を我が子のように思い導いて下さいました。また同窓会の支部会にも多く出席されていました。私が最後に吉田先生にお目にかかったのは、昨年の12月の世田谷支部会でした。寒い日で、帰り道に車まで吉田先生と腕を組んで歩きました。私は当時理事会などで色々と問題を抱えていたのですが、「真保は頑張ってるね。身体には気をつけてね。」と何度も優しく言ってくださった事は、その時の景色と共に一生忘れないでしょう。


同窓会を代表してお二人の素晴らしい先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


ところで、獨協大学や獨協医大の設立に貢献された天野貞祐先生の生誕140年記念「天野貞祐展」が、草加市にある獨協大学の獨協歴史ギャラリーで本年9月30日まで開催されています。1884年にお生まれになり1980年に亡くなるまで学問と教育に尽力されました。獨逸学協会学校中学に入学するものの、一度は病気等で中退。その後復学されて京都大学から大学院に進まれ、カント哲学の第一人者としてご活躍されました。1952年から1970年までは獨協中学・高校の校⻑を務められた事から、私たちの先輩の中には、天野先生のお声を直接聞く事が出来た先生もおられるはずです。天野先生と言えば「大学は学問を通じての人間形成の場である」が有名です。獨協中学・高校の図書室の奥に小さな部屋があります。そこには、学校が困窮した時に各方面に資金のお願いをするために書いた手紙が残されていました。学校と学生の事を第一に考えておられた立派な方だった事を垣間見る事が出来ます。また天野先生の獨協大学の入学祝辞等を読むと、学問に対する真摯な態度と学生を思う気持ちが感じられます。最近の私利私欲に塗れたような人を見るにつけ、天野先生の素晴らしさが際立つように思いました。いずれにしても天野先生の足跡を辿る事で、生涯が勉強である私たち医師の今後の生き方にも刺激があると思います。お時間を見つけて是非足を運んでください。



さて、6月8日には鹿児島支部会がシェラトン鹿児島で開催されました。

支部会⻑12期赤崎安宣先生のご挨拶に続いて、会計報告、役員改選についての報告がありました。私も同窓会の現場について少しお話しする時間を頂戴致しました。皆様が非常に熱心に聞いてくださり、同窓会にさらなる興味を持ってくださった事は非常にありがたい事でした。鹿児島支部会には会報誌があります。「獨協さつま会」広報誌というものです。拝見すると、強い同窓生の絆を感じる事ができます。現在の支部⻑である赤崎先生と 11 期福元隆史先生が広報担当ですが、お二人の作品とも言えるこの広報誌は同窓会会報を凌ぐ熱意が伝わってきます。また鹿児島支部会では例会も年に数回行われているとの事でした。鹿児島は昔から独特の若者組織があり、街ごとに区切られた郷中という単位で少年たちが集まり、厳しく躾けられるそうです。その中で⻄郷隆盛は勉学に励み、二才頭(にせがしら)として郷中の人望を集めたそうです。この薩摩藩独自の教育システムは非常に素晴らしく、このような組織の中でこそ組織愛が芽生え団結力に繋がっていくのだろうと思いました。このシステムを同窓会に導入できないかしらと考えながら帰途につきました。鹿児島支部会の皆様、大変お世話になりありがとうございました。洞窟の写真は⻄郷隆盛が自裁前の最後の時を過ごした場所です。素晴らしい頭脳の人格者がそこで何を思ったのか考えずにはいられませんでした。


先日の夜間救急外来では新型コロナウイルス感染者が多数でした。どうやらその場限りのウイルスではなさそうです。皆様どうかお気をつけてお過ごし下さい。